【あ】

曲名 解        説
「秋の曲」

2000.9.10up
吉沢検校 作曲 松坂検校 (手事手付) 

 
きのふこそ  早苗とりしか(早苗をとって田植えをする。)  いつのまに、
      稲葉(稲の穂)そよぎて  秋風のふく。
』 読み人知らず
  ・・・きのう、田植えをしたばかりと思っていたら、いつのまにか、稲穂がそよぎ秋風が吹く
    季節になってしまった。なんと、月日のたつのは早いものだ。

 『久方の(天の枕詞) 天の河原の(天の川)渡守、  
      君(彦星をさす)渡りなば  楫かくしてよ。』
  読み人知らず
  ・・・織り姫が、天の川の渡し守に、「彦星が渡ってきたら、楫を隠して!」とお願いしてる
    詩のようである。彦星を返したくないという思いの何ともかわいらしい詩である。

 『月みれば  ちぢに(千々に)(あれこれと限りなく)ものこそ  かなしけれ(もの悲しい)
      わが身ひとつの   秋にはあらねど。』  
大江千里
  ・・・秋の月をみていると限りなくもの悲しくなってくる。自分ひとりだけの秋というわけではないのだが。

 『山里は  秋こそことに  わびしけれ、
      鹿の鳴く音に    目をさましつつ。』  
壬生忠ュ
  ・・・山里は、いつも寂しいところだけれど、秋は特にわびしく、鹿の鳴く声に目をさますこともある。

 『散らねども  かねてぞ惜しき  もみぢ葉は、
      今は限りの(最上の)    色とみつれば。』  
読み人知らず
  ・・・散ってはいないが、散る前からその時を惜しんでしまうくらいに、この紅葉は、もっとも美しい
    色合いですばらしい。

 『秋風の  ふきあげにたてる  白菊は、(ふきあげ・・・和歌山県和歌の浦の北にある「ふきあげの浜」)
      花かあらぬか(違うか)    浪のよするか。』  
菅原道真
  ・・・秋風が吹くふきあげの浜に咲く白菊は、花なのか、いやいや、浜辺によする浪ではないのか。
    白菊の何とも言えない白さと、浜に立つ白浪をうたったものである。
    注:その当時、ふきあげの浜で、菊合わせという、持ち寄った菊の優劣を競う遊びがあったようで
      その時の菊の美しさを詩にしたものらしい。

この曲は、吉沢検校(1800〜1872)の作曲で、古今組(千鳥の曲・春の曲・夏の曲・秋の曲・冬の曲)の一つ。
明治の中頃、松坂検校により手事が加えられている。
雅楽の調子を基にした古今調子で作られている。歌詞は「古今和歌集」から秋の歌、六首を選び歌詞としており
優美で気品高い作曲である。
「秋の言の葉」

1999.9.12up
西山検校 作曲  (明治新曲)
 散りそむるはじめる 桐の一葉におのづから  袂(たもと)涼しく朝夕は
  (桐の葉は、一枚ずつ落葉する、さらに、袂の涼しさから自ずと秋の訪れを知ることができる。)

  野辺の千草におく露の  露の情け(男女の情)を身に知るや 
   (野辺の千草のおく露に男女の愛情を感じている。「露」・・・はかなく消えやすい。)
  誰まつ虫の音にたてて(誰を待つを松虫にかけている)  いとど(いっそう)やさしき鈴虫の 
  声にひかれて武士(もののふ)が  歩ます駒のくつわ虫(駒のくつわをくつわ虫にかけている)
  哀れはおなじ片里(片田舎)  いぶせき賤(しづ)が伏家(ふせや)にも(むさ苦しい貧しい家)
  つづれさせてふ(ちょう)きりぎりす
  
(「つづりさせ」とこおろぎが鳴く・・・《綴れ刺せ》「衣類のほころびを刺し縫え」
  の意でそのころは、きりぎりす(今のこおろぎ)の声をそのように聞き取っていた。
  今のキリギリスは「はたをり」と言った。)
  機織る虫の声々に (虫の鳴く音を、機を織る音「きりはたり」の調子にきこえていた。)
  合す拍子の遠砧
  (手事)
  おもしろや  ふけゆくままの大空に くまなき月(欠けていない月・満月)の影清き 
  今宵ぞ秋の最仲とは  いにしえ人の言の葉を  
  (源順の歌「水の面に照る月なみを数ふれば、こよひぞ秋の最仲なりける」をさしている。)
  今に伝えて敷島の (敷島・・・「敷島の道」和歌の道・歌道をいう。)
  道の栞とのこしける (道しるべ) 

1877年(明治初年)頃に作曲された箏曲。明治新曲の代表作で、(前弾き−前歌−手事−後歌)の手事物形式で作られている。
備前・岡山の城主 池田茂政の詞で、秋の哀愁と、物の哀れを歌っている。




【う】

曲名 解        説
「梅の宿」

2000.1.31.up
菊岡検校 作曲  八重崎検校 箏手付  村上松嶺 作詞

 糸竹の、(箏・尺八などの管弦楽器、又は、それらによる音楽をいう)
  世々ふしなれし鶯の、(「よよ」にかける竹(尺八)の節と節との間)(いつも節なれている鶯の声)
  
声の調べ(糸竹の調べとだぶらせている)も新玉の、(春の枕詞「新年」)
  
幾春霞立つなこそ、(春霞がたくさん立たなければいいのになあ)
   いろ白妙に匂ふらめ、(白い梅が匂うであろう)
  
梅咲く宿や、(梅の咲く家)千代ならん、(永く栄えるであろう)
  
梅咲く宿や千代ならん。
  ・・・糸竹の調べに、いつも聴きなれている鶯の声が、新年の春を奏でてくれる。
    春霞がたくさん立たなければいいのになあ。そうすれば、白い梅の香が匂うのに。
    梅の花咲く家は、永く栄えるであろう。

文政(1818〜1830)の頃の作品。 (前歌−手事−ちらし−後歌)の手事物形式で作られている。
祝賀に、作詞、作曲されたものといわれている。上品な曲で三曲合奏もおもしろい。





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